dake008’s blog

アラフォー男子です。内容が中二病的だから、知人には読まれたくないし自分で読み返したくもない。そういうブログです。

マジメな人が好き

唐突だけど、僕はマジメな人が好きだ。でも、世間ではマジメってあまり良い意味で使われていない気がする。「マジメか!」ってツッコミもあるけど、これ、良い意味では絶対にないし。マジメって単語には、堅いとか面白味がないとか融通が利かないとかってニュアンスが含まれてる。特に、面白味がないっていうイメージは致命的。今の世の中、面白くない人間は人に非ずぐらいの無言の圧を感じる。

 

やるべき事を一生懸命やるというのはマジメの一要素だけど、それってもっと認められるべきじゃないのかなぁ。

 

話が少しそれるけど、成果主義という言葉に反感を覚える。成果を上げないといけないという理屈はわかるけど、もっと、そのための過程も認める余裕がほしい。

「あいつ、努力はしてるけど結果でないよな」というか「あいつ、結果はでないけど努力はしてるよな」というか。

 

最後に。マジメを「好きでもないことを何らかの理由でとりあえず続けること」と定義して批判する人がいるけど、いいじゃん好きじゃないことを頑張ったって。好きな事を見つけてそれに全力投球するのはもちろんすばらしいけど、それは、特に好きじゃないことに一生懸命取り組む姿勢をバカにしていいわけじゃあない。

和田竜さんの「村上海賊の娘」読んだ

和田竜さんの「村上海賊の娘」を読んだ。2014年に本屋大賞を受賞した歴史小説。この後批判的なことも書くけれど、全体としては面白かった。


村上海賊とは、戦国時代に瀬戸内海に実在した海賊集団、らしい。そして「村上海賊の娘」はその名の通り、村上海賊の当主である村上武吉の娘、景(きょう)の挫折と成長を描いたドラマ。織田信長の軍隊と毛利水軍が激突した第一次木津川合戦を舞台としていて、登場する人物やイベントは史実に基づいている。景も実在の人物らしい。けど、彼女の男勝りすぎる性格や合戦での立ち居振る舞いはフィクションらしい。つまり、史実の戦に実在する女性を参戦させたフィクション。「この話は史実に基づいたフィクションです」という事か。


本作を読んでいて、司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」を思い出した。あの作品も、史実をベースにしているとはいえ大分フィクションが混ざっているらしい(ちなみに、「竜馬がゆく」は僕が一番好きな本)。「村上海賊~」も、景のフィクション色が強過ぎる。まず、彼女は自他ともに認める醜女。仮にも姫なのに、嫁の貰い手がないレベル。気が強くてブスな女性が主人公の歴史小説ってずいぶん面白い設定だなと思ったけれど、読み進めていくと、どうやら彼女は顔が小さく目が大きくて、手足の長い西洋系のルックスであることが分かる。当時の日本ではブス、という設定。僕ら読者からしたら美人(表紙絵を見る限り)。そしてやたらと腕が立つ。気が強くて腕が立つ美人が、実在する戦で活躍する(活躍というにはかなり泥臭いけど)。それって、とっても漫画とかアニメとかゲームでありがちな設定。いくら、最強の海賊である村上武吉の血を一番濃く受け継いでいるという設定でも、これはやりすぎだなと感じた。腕が立つと言えば、三国志でいう呂布のような剛腕な武将も登場する(性格は呂布ではない)。彼なんかも名もない兵をばったばったとなぎ倒すんだけど、実際の戦ってそこまで個人の力量に差はないよな~。。読んでいて少し白けてしまった。基本的には史実に基づいていて面白いだけに、その辺りのフィクション色の強さがどうしても気になった。


ところで、この小説の根底には「家を守る」という考えがある。僕はこの考えにすごく共感できた。娘が生まれてから自分の仕事に対する気持ちって、これだったんだなぁと。僕の場合は、「家(一族)」ではなく「家族」だけど。家族のために仕事をする自分を、作中の武将に重ねて読んだ。僕の職場はビルの中で、武器はパソコン(システムエンジニア)。命を張ってる彼らとはだいぶ環境が違うけど。


最後に蛇足。この作品には雑賀孫市が出てくる。そう、司馬遼太郎さんの作品「尻啖え孫市」の主人公。「尻啖え~」は20年前に読んだけど、久しぶりに名前を目にして嬉しかった。村上海賊の孫市は「尻啖え~」とは性格がだいぶ違ったな~。懐かしすぎて、さっき図書館で「尻啖え孫市」を借りてしまった。読み終わったらここに感想文を載せます。

横山秀夫さんの「64(ロクヨン)」読んだ

横山秀夫さんの「64(ロクヨン)」読んだ。2013年に「このミステリーがすごい!」で一位をとってるらしい。


警察物のミステリーなんだけど、主人公である三上が刑事ではなく、元刑事の広報官という設定が変わっている。そして彼を取り巻く組織や人間関係がややこしい。まず、刑事と広報官というのは仲が悪い。なぜなら、広報官はメディアに情報を与えるのが仕事なので捜査中の刑事へ情報提供を求めるが、捜査をじゃまされたくない刑事は情報を隠そうとする。三上は、その立場から元同僚の刑事たちからは裏切り者扱いをされ、今の職場でも煙たがられている節がある。三上自身は、刑事に戻りたいという気持ちがある。さらに上司とも仕事の方針で意見が合わない。が、上司には頭が上がらない。なぜなら、一人娘が家出をして行方不明となっており上司に助けを求めたのだ。おかげで、全国の警察官が娘の捜索を行ってくれているが、三上は上司に首根っこを押さえられてしまっている。広報官として対応にあたっているメディアの人間とは、上司の方針が原因で関係が拗れている。
そしてこの本のタイトルでもある64(ロクヨン)(以下、「ロクヨン」で統一)。ロクヨンとは、平成を迎える前のわずか1週間だけ存在した昭和64年に発生した、身代金誘拐殺人事件を指す。三上もこの事件に関わっていたのだが、14年経った今でも犯人が分かっていない。三上は、ひょんな事から捜査規模が縮小されたこの事件を一人で解く事になる。組織や人間に邪魔されながら。


会社でも家庭でも大きな問題を抱えて、思うように動く事のできない主人公が可哀想で読んでいるこっちがストレスを感じる。人間関係って本当に面倒くさい。。話の主流はロクヨンの捜査なんだけど、他の問題が絡み合っていてちょっとややこしいかなという印象。ただ、ミステリーとして事件の解明は少しずつ進んでいく。話の結末は僕は好き。100%すっきりはしなかったけど(僕は)。


単純にミステリー物としても面白かったけど、人間関係のしがらみの中でもがく主人公の描写も良かった。

選挙権をありがたがれって言われてもそれは無理だ

選挙権をありがたがれって言われてもそれは無理だ。

 

僕が何かをして手に入れた権利ではなく、20年生きていたら勝手に付いてきたものなんだから。戦争を生き抜き戦後の動乱を乗り越えた人たちは別として、ほとんどの日本人は平和な世に産まれて平和な世で育ってる。そんな人たちが本当に、一票を清いと感じたり、一票を重いと感じたりできるのか?そういう主張をしている人たちをどうしても胡散臭いと思ってしまう。愛は地球を救うとか言う人ぐらい胡散臭いと思ってしまう。


そして僕みたいな考えの人が少なくないから(声を上げる事はないけれど)、テレビのコメンテーターや新聞のコラムがいくら煽っても投票率は低空飛行を続けているんだと思う。

結局、小池百合子都知事の「排除の理論」の何が間違っていたのかわからなかった

政治ニュースをほとんど見ていない自分でも知っている、今回の希望の党の失墜と小池さんの放った「排除の理論」。旧民進党のメンバーを「無条件では受け入れませんよ。希望の党と同じ考えじゃないとだめですよ。踏み絵はちゃんと踏んでもらいますよ」という意味での「排除」宣言したとこで、小池人気が急落したとのこと。


…違う考えの人間を迎え入れないなんてあたりまえじゃないの?


まさか「みんな違ってみんないい」なんて思っているとか?それとも、とにかくアベを脅かす勢力ができれば中身は何でも良いってこと?などと勘ぐってみたけれど、どれもピンとこない。ググれば答えらしきものが見つかるのかもしれないけれど、少しは自分で考えてみよう。。なんて殊勝な事を思うはずもなく、単に興味がなくてググる気にならなかった。


ということで自分で考えてみたんだけど、しっくり来たのが「義経だと思っていた小池さんが実は頼朝だった事に皆ががっかりした」のかなと。つまり、日本人は判官びいきで弱いものに肩入れしたくなる性質がある(それが日本人の性質なのか地球人の性質なのかは知らないけれど)。かつて都知事選を闘った時の彼女は、絶対権力自民党を飛び出した、実績はあるけれど頼りなくでも正義感に溢れた健気な女性だった。それが権力の座につくと、あろうことか一度は政権を担ったほどのおじさん達を「排除」するような傲慢な女になってしまった。いや、そういう本性が露になった。そして有権者がそっぽを向き始め、その事を敏感に感じ取ったメディアが反小池論を煽った。


という事ならば、「排除」発言をきっかけに転がり落ちてしまったのも理解できなくはない。それでも納得はできないし、なんか違う気がしなくもないけれど。


小池さんが女性だったというのもあるのだろう。都議会のドンと闘っていた時、彼女の性別は間違いなく彼女にとって有利に働いていた。そしてその分、有名政治家をぶった切る彼女の姿は、一層残虐に見えた。


…うん、やっぱり納得はできない。僕は、平時においてある程度の権力を握れる人間というのは基本的に腹黒いと思っているから、「排除」の小池さんに対するイメージは特に変わらなかった。そのせいで、今回の騒動に対する違和感を拭うことができないのかも。

 

ちなみに僕自身は今回も選挙に行ってないです。僕の一票で日本が変わるとは思えないので。

ピース又吉先生の「火花」をやっと読んだ

僕の中では、ピースの「じゃない方」芸人又吉さんが、まさかの芥川賞を受賞したのがこの作品。恐らく、日本人の78%ぐらいは知っている事実だと思うけど(2017年現在)、数十年後にこのブログを読み返した時のために一応記しておく。じゃない方だった又吉さんはこの事件で一気に大先生となり、相方の綾部さんは迷走してニューヨークに行ってしまう始末。いや、迷走してなのかはわからないけど。


と、どうでもいい話は置いておいて、2015年の芥川賞受賞作品である又吉直樹さんの「火花」をようやく読んだ。まず、本を手に取って驚いた。「本が薄い・・」。長ければ良いってもんじゃないのはわかっているつもりなんだけど、それにしても「芥川賞」を受賞した小説がこんなに短くて良いのかと。短い話が有名な賞を受賞するのは珍しくないのかもしれないけど、素人な自分は、まずそこで驚いた。


でもまあ、彼のような有名な芸人というのはとにかく時間がない(と思う)ので、ボリュームが少ないのはしょうがない。そして、そんな片手間で書かれた小説がそこまで面白いとも思えない。実際、○○賞を受賞しても自分には合わなかったとという小説がいくつもある。芸人が主人公の話だというのは聞いていたから、おそらく、著者の体験が上手い事表現されて、他に良書がなかった2015年に運良く賞を取ったのだろう。と、思って読んだ。


そして読み終わって思ったのは「・・すごく面白かった」。正確には割と序盤から思った。「あれ、これ結構面白いぞ」と。そしてそのまま最後まで突っ走った。


主人公と、彼が師と仰ぐ先輩芸人との掛け合いが面白い。面白いというのは、笑えるという意味ではない。いや、笑えるシーンもあるんだけど、それに加えて会話のテンポが良くて心地よい。あと、ムダに、と言ってしまってよいのかわからないけど、くどい描写も好き。あっさりしてるんだけどくどくもあるというか。一文が長いんです。そして何より、先輩芸人のセリフや考え方や生き様が良いなと。胸にすとんと落ちる感じ。これもしかしたら僕だけかもしれないけれど、村上春樹の作品と雰囲気が似ていると感じた。

 

図書館で借りた本だけど、kindleで買ってたまに読みかえしたいなと思わせてくれる作品でした。読後、心地よかった。

「母乳」はセクハラ?

ネットを見ていたら、小さい子供を持つ女の人が「職場で男性に母乳かミルクか聞かれた。これってセクハラですか?」と質問しているページを見つけた。実は、自分も同じ話をリアルで聞いた事がある。「職場のおじさん社員に母乳なの?って聞かれて答えに困った。女の人に聞かれるのは良いけど男性から聞かれると嫌悪感を感じる」と。


まず、大多数の男は、母乳かミルクか聞いた時に性的な意図はない。そして、だからこそ怖い。これをセクハラと呼ばれてしまうと、僕もセクハラをしてしまっている可能性がある。いや、「母乳」に関してはない。なぜなら、母乳を上げれていないお母さんの多くはその事に負い目を感じているという事を、僕は知っているから。でも、男から発せられる「母乳」という単語に女性が性的な意味で嫌悪感を抱くなんて思いもしなかったから、無意識のうちに似たような地雷を踏んでいそうで怖い。特に奥さんが妊娠・出産してから、女性にアドバイスをもらう事もあるし。


そして今思ったのだけれども、「母乳」がセクハラだとしたら妊婦さんに「何か月ですか?」とか聞くのももしかしたらアウトなのだろうか?だとしたら、自分やっちゃってるよ。。性的だなんて思ってなかったし。あとは、小さい女の子連れのお母さんに「かわいいですね」って言うのもアウトなのだろうか?そういえばうちの奥さんは、娘が保育園の男性保育士さんにプールに入れられるのは抵抗があると以前言っていた気がする。僕は全くピンとこなかった。


思うに、女性というのはそれだけ日頃から、男に性的な目で見られていると感じているのかもしれない。男である自分にはよくわからないけど。まあ僕も、目の前の女の人のスカートが捲れたらいが良くし、おっぱいの谷間が見えたらやっぱり目がいく。特に巨乳だったら。

 

つまりはそういう事なのかな。だとしたら、なんかごめんなさい。。